昨年の10月に事務所を移転したばかりですが、今度は自宅を引っ越しました。今までは東京と埼玉の県境にある赤羽(あかばね)という所にいたのですが、中央線の荻窪という所に移りました。
以前から、そろそろ移りたいとは思っていたのですが、今年中学受験のあった末っ子がどうしても小学校を卒業するまで待って欲しいということだったので延び延びになっていたのです。
ところで赤羽に来てから8年以上になるのですが、なぜ赤羽に来たかといえば自然環境が抜群に良かったからです。
それまでは早稲田大学のある高田馬場という所に住んでいたのですが、もっと自然の多い所が良いだろうということで荒川沿いにある賃貸マンションに引っ越してきたというわけです。
今でこそ中学受験の本を何百冊も読んだり受験に関することをブログに時々書いたりしておりますが、その当時は中学受験なんか全く興味の範疇外だったのです。
さすがに家内は心配になるのか、通うことになる地元の小学校とか中学校に行って先生に状況を伺っていたようですが・・・。
ところで、引越しすることにした一番の理由は自分の部屋が欲しいと子供達からせがまれたからです。大して勉強もしないのに生意気なことを言います。
それに現実的にも生活するスペースに余裕がなくなったきたということもあります。移ってきた当時は4人の子供全員が小学3年以下だったのでどうにかなっていたのですが、全員が中学以上になりますとそうもいかなくなります。
まあ、こういった理由以外に地元の学校に通う子供が1人もいなくなってしまったこともあり、気分を一新することにしたのです。
ところで引越しは3月27日の土曜日だったのですが、何時に終わったと思いますか? 業者の方は朝の7時20分に来ていたのです。
荻窪という所は赤羽から環状八号線(環八)で一本で行けます。したがって普通だったら、どんなに遅くとも夕方の5時頃には終わると思いますよね。それがナント夜の11時30分までかかったのです。
どうしてこんなにかかったかと言えば、営業マンが見積もりを間違え最初に来たトラックに荷物が入りきらず、一旦積み込んだ荷物をより大きいトラックに積み替えたからなのです。
それも一度ならず二度も積み替えたのです。一度目は昼頃で、二度目は夕方の7時頃です。そして9時近くになりようやく引越し先に到着したのですが、今度はトラックが大き過ぎて近くまで来られません。
そこで仕方なく台車で運んだり、我が息子達も手伝ったりしてどうにかこうにか終えることができたというわけです。
まあ、こういった場合、小言の一つも言いたくなるのでしょうが、私の場合は人間ができていますので(?)、ただ一言「ご苦労さんです。大変だったですね。」で終わりです(ただし、業者の人には聞こえないように家内とはチョットだけウップン晴らしをしましたが・・・)。
このようにいろいろ苦労はしましたが、今は毎日が新鮮で充実した生活を送っています。以前よりもかなり部屋が広くなりましたので、お近くにおいでの折には是非お立ち寄り下さい。私のオイシイ手料理でもご馳走いたします。
引越しの荷物が入る前の我家